イヴサンローランとベルジェ氏との出会いは?そのフランスモード界へ貢献

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イヴサンローランのコンパーニュ(彼)の実業家のピエール ベルジェ氏(Pièrre Bergé)はすでに86歳で他界されていますが、

ベルジェ氏はピエール ベルジェ財団を設立し、イヴ サンローランのモード展の強力な後援者でもありました。

ベルジェ氏は1930年にフランスの大西洋側に位置する、オルレオン島で生まれ、1948年にパリに上京し、ベルナール ブッフェ氏(Bernard Buffet 画家)と最初の恋に落ち、生活をともにしていました。またクリスチャン ディオールとも交友関係があり、お互いに家に招待しあう仲でした。

モード界のことには詳しくなかったと言われるベルジェ氏ですが、クリスチャン ディオール氏を取り巻くモードの世界的な状況を理解していた彼のビジネスセンスのたまものだったのですね。

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クリスチャン ディオールの後継者としてのイヴ サンローランを応援

1947年、突然クリスチャンディオールの他界のあとメゾンを任された、イヴサンローランコレクションは大盛況でした。そこに、ベルジェ氏は招待を受け出席したのです。

その時、若きスタイリストのイヴ サンローランは若干21歳でしたが、

大盛況のコレクションの後楽屋裏で、マリールーイーズビュスケ (ハーパーズ バザール“Harper’s Bazaar”というファッション誌のジャーナリスト)にイヴサンローランに紹介されたのがきっかけでした。

このジャーナリストのマリールーイーズビュスケさんは、クリスチャン ディオールの才能を見抜いて、コレクションの様子をフランス版ハーパーズ バザールに記事に書いていたことで、クリスチャンディオールとは懇意だったのです。

クリスチャンディオールのコレクションと、マリールーイーズビュスケさんのハーバーズバザールのファッション誌の発売で、コレクションの知名度がどんどんと高くなるという相乗効果だったのです。

マリールーイーズビュスケさんはは毎週木曜日に夕方の5時から9時まで、当時の画家やアート関係の人々を招待して、サロンを開催していました。そこにベルジェ氏と画家のブッフェ氏、イヴ サンローランと、ディオールのアトリエ部責任者のレイモンド ゼナッケ―氏(Raymonde Zehnacker女性)の4人がサロンに招待を受け、その後親交が発展してゆくのでした。

クリスチャンディオールのなき後、若干21歳で成功した彼は、その後アルジェリア戦争へと突入するフランス軍への参加しないことで、ストレス性のうつ病にかかり入院が長引き、ディオールのメゾンから解雇されることになりました。そこで、ベルジェ氏が、イヴサンローランを救い、彼のコレクションを1962年へ開くことになったのです。

2008年にイヴ サンローランはなくなりますが、二人でイヴサンローランのメゾンを40年間、こうして二人で創設から世界イヴ サンローランへと大成させて行った功労者でした。

ベルジェ氏は政界とも交友があり、事実社会党の広告塔で、資金面での支援もしていました。事実2012年に社会党が政権をとり、社会党のオランド前大統領は同性愛者の結婚の合法化へと進めました。

時代が進んでいたのもありましたが、この法案化にはベルジェ氏の存在も影響していたのでしょうか。

のオランド氏との親交のですが、オランド氏は、ツイッターで、〚ピエールベルジェの死で私は友人の一人を失った〛と。

また、現マクロン大統領からのツイッターでは、〚常にアーティスト側に、圧制された側に、そして少数側にいた人物であった。

ピエールベルジェが亡くなり。パスをする人物、活動する人物、世記の記憶が亡くなった〛

とコメントしています。

世記のモードへは貢献者をまた一人なくしましたが、

イヴサンローラン美術館の再開は10月3日となっています。

https://francedayori.com/tourisme/626/

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